社会福祉法人 正吉福祉会|リクルートサイト

INTERVIEW
まちだ正吉苑 折原施設長

スポーツの道を志していた学生時代から一転、福祉の世界へ飛び込み、新卒から約30年、正吉福祉会の成長とともに歩んできた折原施設長。20代から数々の新規プロジェクトやリーダーを任され、現在は「まちだ正吉苑」を牽引する折原施設長に、これまでのキャリアや今後の目標など、様々なお話を聞きました。

特養1拠点から8拠点へ。
法人とともに成長し続けた30年でした。

 

介護業界を目指したキッカケ・正吉福祉会に入職した経緯を教えてください。

私はもともと高校で陸上をやっていて、スポーツでご飯を食べていきたいと思っていました。でも、進路指導の先生に「無理だ」と一喝されまして(笑)。勉強は好きではなかったですが、体力には自信があったので、「体を動かして人の役に立つ仕事」がしたいと思い、そこで出会ったのが福祉の道です。

福祉の専門学校に進学し、介護業界を志望して就職活動していましたが、ちょうどそのときは就職氷河期で、とても苦労しました。特養をメインに受けていたのですが、2社落ちた状態で3社目に受けたのが正吉福祉会でしたね。なんとか正吉福祉会に拾ってもらったというのが私の感覚で、もしあそこで落ちていたら、違う道に行っていたかもしれません。

入職してからのキャリアステップについて教えてください。

私が入職した頃は、正吉福祉会もまだ1施設しかありませんでした。そもそも介護保険制度もなく、特養の男性職員は「寮父(りょうふ)さん」と呼ばれていた時代でした。当時、先代の理事長が「これからは事業を拡大して、君たちのような若手職員が活躍できるポスト役職を増やす」と言ってくれていて、実際に1施設から現在の特養8施設へ、法人がどんどん大きくなっていくのを目の当たりにしました。

私自身もたくさんチャンスをいただき、入社4年目(24歳)のとき、きたざわ苑の新規立ち上げ時に特養のユニットリーダーを任されたり、翌年にはこまえ正吉苑のデイサービス主任、その後29歳でしもいぐさ正吉苑の所長に就任するなど、様々な経験を積ませてもらいました。

30年近く勤めた中で、最も印象に残っていることは何ですか?

20代の頃に出会った、92歳の男性利用者さんの言葉です。戦争でご家族もご自身の両足も失った方で、「俺の人生は最悪だった」と仰っていたんです。でも、亡くなる直前に「ここでの1年は楽しかった。終わりよければ全て良しだ」と言ってくださって。92年間の最悪だった人生を最後の1年間で「終わりよければ全て良し」に変えられるんだと、今までにない感動があったことは今でも鮮明に覚えています。当時は若気の至りもありますが、「すげえな俺たち」と同じ施設のメンバーと語った思い出も蘇りますね。

ただ、今の立場になって思うのは、その逆もあり得るという怖さです。「最期がここで最悪だった」と思われないよう、責任を持ってケアをしなければいけないと、常に自分への戒めにして、日々の仕事に取り組んでいます。

今後の目標と、求職者の方へメッセージをお願いします。

私ももう50歳手前ですし、これからは若い世代にどうやってこの仕事の魅力を伝え、長く続けられる環境を作っていくかが、私自身の役割だと思っています。介護は、ただのお世話ではなく、要介護度を改善させたりできる「プロの仕事」です。だからこそ、「優しさ」などの大前提に加えて、常に「感謝の気持ち」を持ち、「勉強し続ける姿勢」が必要になります。

これからはICTやAIなども積極的に活用しながら、若い人たちが「介護ってかっこいい!」「介護って面白い!」と思えるような業界にしていきたいですね。ぜひ、私たちと一緒にプロフェッショナルを目指せる方をお待ちしています!

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